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Profile

Story

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誕生

1981年3月23日

山と田んぼに囲まれた東北のど田舎に、二人姉妹の長女として生まれる。

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RPGとの出会い

初めてドラクエをプレイし、「私もこんな風に、冒険するように生きたい」と願う。

当時プレイしていたドラクエⅣの特に第四章「モンバーバラの姉妹」に震え、その世界観や音楽も然ることながら、“踊り子”や“占い師”という職業、“タロットカード”という魅力的なアイテムがこの世にあること、さらにそれらを生業に世界を旅する姉妹の“ジプシー”という生き方に魅せられる。

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音楽部と今ここ

高校での3年間を音楽部で過ごす。

1年の時に全国大会初出場・入賞を果たし、自分の人生に訪れたまさかの展開に驚きと感謝でいっぱいに。

一度結果を残すと次年度以降もさらなる結果を求めてしまいそうだが、「結果は後からついてくる」という顧問の考えにより、私たちは一度も結果のために歌うことなく、さらにMAX90人という大所帯の中でも比較が一切生まれない完全なる調和の中で、今ここの静寂さと心地良さに身を置いた。

2、3年次は全国3位にあたる賞を受賞し、進路も決めずフラフラ過ごしていた私の元に、音楽部推薦での大学進学の話が舞い込む。

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挫折

推薦で進学した大学合唱部で、初めて“結果を出すための練習”を味わうことに。

基礎的な練習も何もしない、ただ形だけを整えようとするあまりの音楽性の違いに落胆し、さらに、このまったく震えない音楽で全国大会で優勝してしまったことから、その落胆が絶対的なものとなる。

「ここにいたら音楽そのものまで嫌いになってしまう」と、恩師や母親の反対を押し切り2年の大会後に中退。熱の矛先を完全に失い、消耗品のような日々を歩む。

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埼玉へ

「せめて短大は卒業してほしい」という母親に押され、なんとなく目に留まった埼玉の短大に進学。3つ歳下の学生たちと同級生に。

海外留学をさせてもらったりとまた人生の中に彩りが少しずつ増すなか、その後の結婚相手と出会ったことで、埼玉に定住することとなる。

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ブログ開設

当時のパートナーが束縛気質だったことから、同世代との会話に飢え、初めて購入したパソコンでブログを開設。

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息子誕生

26歳で結婚し、28歳念願の母親に。

可愛くて可愛くて仕方のなかった我が子のはずが、理想的な母親になろうと自身に負荷をかけすぎストレス過多に。

夫婦関係も悪化し、息子とキャリーケース一台でその日泊まる宿を探し回るような生活や、短期的な別居をしたりと、どんどん家庭が崩壊していくなか、どんどん精神状態も不安定になっていった。

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適応障害と別居

本格的に別居をすることとなり、これをきっかけに精神科を受診。適応障害と診断され、これまでの自分の生き方に疑問を持つ。

洗濯機も玄関先に置くような本当にボロいアパートだったけど、それでも息子と二人、誰にも監視されない生活は心地良く、どこか懐かしい自由と解放感に、「やっぱりこれを感じて生きたい」と望む最初のきっかけとなった。


またこの時期謎に見ていた益若つばささんと紗栄子さんのブログに、自身の夢のカケラを見ていたことにも後に気づく。

“シングルマザー”で“実業家である”という2人の共通点に、この時からすでに理想の未来を描いていたのかもしれない。

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豊かさの始まり

別居中にまさかのマイホームを建てるという話になり、完成したこの年、別居を解消し同じ市内のマイホームに引っ越すことに。この頃から少しずつ車のグレードが上がったり、お出かけをする幅も広がったりと、“豊かさ”を実感するシーンが多くなっていった。

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再誕生

2013年(32歳)、鏡リュウジさんの「牡羊座の君へ」と出会い、自分と自分のこれからの人生に希望を抱く。

2014年(33歳)、自分の望む人生を歩むためには働き方を変えることが必要と考え、“労働時間に収入が比例しない働き方”に転向。

2015年(34歳)、起業したいと考えるようになり、同年マヤ暦という震えに出会う。

2016年(35歳)、叶恭子さんの哲学にインスパイアされ、心屋仁之助さん、Happyちゃん、子宮委員長はるちゃん…と、今も大好きな発信者たちの影響を受け、自らの生き方を見直すことに。

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ブロガー

インターネットビジネスと出会い、「大好きなブログが仕事になったら…」と密かに願っていた夢を叶える。

三次元的なやり方や考え方がきつくなり、大金を投資して学んだインターネットビジネスをあっさりやめるが、この時期に学んだネットツールの使い方が、今のビジネスの支柱となる。

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Jeepと乗馬

息子小2の夏休みに「馬に乗れるんだってー♪」くらいの軽い気持ちで行った乗馬体験ですっかり馬に魅了され、その日のうちに親子で入会。「続けられるだけの経済力があるかどうか」を一切考えず、その場の感動だけで入会を決めたため、ここから怒涛の乗馬代チャレンジが始まることに。


もらい事故でそれまで乗っていた車が廃車になり、まさかのずっと乗りたかったJeep Wranglerが愛車になった直後の入会だったが、“Wrangler”に“馬のお世話係”という意味があることを知り、乗馬に運命的なものを感じる。

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占い師と起業

乗馬代があまりにもきつく限界を感じた頃、「そうだ、私占い師になりたかったんだ」と思い出し、その日から占い師に。

同年、八木さやちゃんの自分ビジネス講座をきっかけに占い師として起業。

鑑定書を作ったり、その鑑定書を憧れていた占い師さんが買ってくれたり、マヤ暦のスクールを開いてお弟子さんができたり、以前インターネットビジネスで学んだライティングのノウハウに子宮メソッドをかけ合わせたブログ講座を開いたりと、自分でビジネスをし、結果が出る楽しさを知っていった。

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夢のシングルマザー

「自分で自分を幸せにできるようになったら、離婚を自分に許可しよう」と考えていたところ、その許可が降りたタイミングがあったため、流れに委ね、仕事のあてもないまま離婚。ずっと夢だったシングルマザーに。

あれだけ夢中だった乗馬も、「今は乗馬代どころじゃない」と退会(息子は継続中)。

「まずは生活費を…」と考えていたはずが、美人百花から雑誌掲載の依頼があり、「いつか占い師として雑誌に載りたい」と望んでいたことを思い出し、40万掲載料がかかるその企画に合意。40万どころか、まずは生活費をなんとかしなければいけない現状だったが「契約が先」を実践し、無事期日までの支払いを叶え掲載へと至る。

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広がる世界

空龍3期に申し込み、4月11日に行われたCLUB空龍で、初めてリアルイベントに参加。初めてHappyちゃんを見た興奮と、味わったことのないエネルギー疲れが消化し切れぬまま、ここからどんどん魂チャレの幅が広がっていくことになる。

5月、CLUB空龍からの流れで「8を持つ人のお茶会」に参加。

同月、空龍フェスのファッションショー2組に応募→当選。MOMEDのシェア会にも初参加。

6月にはMOMED LIVE参戦と、空龍フェス出演を果たし、空龍フェスの第2部で望んだ「いつかイベントを主催する側になって、ルミさんトオルさんを招待したい」という夢を、9月6日に主催した空龍フェスNEXTで実現。


空龍フェスNEXTからの流れで、10月は大阪のLOVEフェスに出演。11月には新潟VORTEXPARTYに参加し、12月次元上昇LIVEと神戸宇宙フェスに出演。この過程でたくさんの人と出会う。

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昨年広がったつながりのおかげで、現在、雑誌「Ātman」創刊プロジェクトを進行中。

5月にはゆうちゃんココちゃん、パートナーの真弓と、兵庫レイビレッジで光の柱を立て、

雑誌企画の傍ら、6月29日に大阪で開催される「I collection」のお金部・デザイン部として、連日打ち合わせの日々を過ごしている。