9歳の頃
初めてプレイしたドラクエの世界に魅せられ


私もこんな風に
冒険するように生きたいと願った。



帰らなきゃいけない場所も
行かなきゃいけない場所も
やらなきゃいけないこともない世界で


ただ自分の思いと羅針盤を頼りに歩んでみたい。


だけどそんなのはゲームの中の話で
現実には起こりっこないことも知っていた。





エジプトのピラミッドに
ナスカの地上絵———


世界には私の心を震わすものがたくさんある。



だけどそのほとんどを私はこの目で見ることなく
きっと死ぬのだろうと悟ったのは中学生の頃。


なぜなら私が知る大人のなかに
「夢を生きる人」なんて一人もいなかったから。




神秘的なオーロラも
好奇心を掻き立てる古代の遺跡も
きっと私は何一つ見ることなく


テレビや雑誌越しの世界に憧れを抱いたまま
誰でも生きられる人生を生きて終わるんだろう。




あーあ。
人生ってこんなもんなのかな。




モラル、社会通念、常識———
⁡年齢とともに、自分を制限する枷が増えていく。

「主婦として」
「母親として」


役割ばかりがどんどん増え
固定された枠にどうにかハマろうと必死な毎日。



“ちゃんとした人”になろうと
頑張ってコツコツ貯めた“信頼”というポイントは
ひとつの凡ミスでいとも簡単に失ってしまう。



子どもの将来のために積み立て
老後のために節約をし


この先の自分の人生が
まるで墓まで決まってるようだった。




いつかの夢もすっかり忘れ
頑張ることにもいい加減疲弊した頃
適応障害になり
それまでの人生に疑問が沸いた。


「私が生きたいのってこんな人生だった…?」


もっと自分らしく生きたい———

もっと自分らしく生きたい———

病名がつき
「もう頑張らなくていい」とホッとすると
それまで抑えていた本音が
堰を切ったように溢れ出た。


誰かが求める人生でなく
私は“私”にしか生きられない人生を歩みたい。





もっと自由に生きたい。


カフェにも行きたいし

水族館にもたくさん行きたいし


ピラミッドも

この目で見たかった。







出会ったのがマヤ暦だった。
“紋章”
“銀河の音”
まるでRPGを彷彿とさせるような世界に
ドキドキがとまらない。
「冒険するように生きたい」

すっかり忘れたいつかの夢を
また思い出し血が滾る。
何が嬉しいって
自分や自分の人生に希望が持てたこと。
半ば諦めるように生きていた日々が
彩りを増しキラキラと輝いてみえた。
直感に誘われるように
自分の内なる羅針盤が指すままに
先の見えない人生を歩む。

ゲームの中だけのはずの冒険が
現実になるなんて思いもしなかった。



“主婦として”
“母親として”の人生でなく

今、“私”の人生を歩んでいる。



それぞれに
それぞれにしかない物語がある。

さぁ自分史上、最高の人生へ———
邑花(ゆうか)



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